呉 清源(ゴ セイゲン / WU, Qing Yuan)

呉 清源
性別
棋士段位 九段
出身地 中国福建省
所属 日本棋院東京本院
タイトル数 2
著書

「呉清源打碁全集」全4巻(平凡社)

著書一覧

プロフィール

大正3年(1914年)5月19日生。中国・福建省出身。昭和3年来日、故瀬越憲作名誉九段に入門。
昭和4年飛付三段、5年四段、7年五段、9年六段、14年七段、17年八段、25年九段推挙、59年引退。
昭和11年4月帰化、呉泉 (くれいずみ)を名乗るが、後に呉清源にもどる。昭和54年中国籍より再び日本に帰化。
十番碁で当時のトップ棋士をすべて先相先ないし定先に打ち込み、第一人者として君臨。
抜群の戦績と華やかな芸風で常に斯界一の実力者として遇せられた。
昭和8年に木谷實五段(当時)と新布石法を発表。
門下に林海峰名誉天元、ゼイ廼偉九段。
日本棋院名誉客員棋士。

平成26年11月30日逝去。

棋士成績

更新日時:
対局数 勝数 負数 持碁 無勝負
通算成績
本年成績
昨年成績

対局結果と今後の予定(テレビ棋戦を除く)

更新日時:
対局日 勝敗 対局相手 棋戦
名称 回期 段階

棋戦主要履歴

昭和8年(1933年)
日本選手権戦で優勝
本因坊秀哉名人と対局
☆三々、星、天元の布石で話題を集める(本因坊秀哉名人白2目勝ち)
昭和14年(1939年)
木谷實七段と打込み十番碁(15年まで)
☆5勝1敗で先相先に打ち込む(手合直り後1勝3敗)
昭和16年(1941年)
雁金準一八段と打込み十番碁(17年まで呉4勝1敗、以後中止)
昭和17年(1942年)
藤沢庫之助六段と打込み十番碁(19年まで)(藤沢定先、呉4勝・藤沢6勝)
昭和21年(1946年)
橋本宇太郎八段と打込み十番碁(22年まで)
☆6勝2敗で先相先に打込む(手合直り後1敗1持碁)
昭和23年(1948年)
岩本薫八段と打込み十番碁(24年まで)
☆5勝1敗で先相先に打込む(手合直り後3勝1敗)
昭和24年(1949年)
呉・高段者総当り十番碁(25年まで)☆呉の8勝1敗1持碁。
日本棋院から九段に推挙される
昭和25年(1950年)
呉・本因坊昭宇(橋本宇太郎)三番碁(呉3勝0敗)
昭和25年(1950年)
橋本宇太郎と第2次十番碁(26年まで)(橋本先相先)呉5勝3敗2持碁
昭和26年(1951年)
藤沢庫之助九段と四番碁(呉4勝0敗)
昭和26年(1951年)
藤沢庫之助九段と第2次十番碁(27年まで)
☆6勝2敗1持碁で先相先に打込む(手合直り後1勝)
昭和27年(1952年)
呉・高川秀格本因坊三番碁(呉3勝0敗)
昭和27年(1952年)
藤沢庫之助九段と第3次十番碁(28年まで)
☆5勝1敗で定先に打込む(以後中止)
昭和28年(1953年)
坂田栄男八段と打込み十番碁(29年まで)(坂田先相先)
☆6勝2敗で定先に打込む(以後中止)
昭和30年(1955年)
高川秀格本因坊と第2次三番碁(互先)(呉3勝0敗)
昭和31年(1956年)
高川秀格本因坊と第3次三番碁(呉3勝0敗)
高川秀格本因坊と十番碁
☆6勝2敗で先相先に打込む(手合直り後は2敗)
昭和33年(1958年)
第1期日本最強戦優勝
昭和36年(1961年)
第3期日本最強戦優勝

受賞歴

囲碁関連受賞履歴

昭和42年(1967年)
大倉喜七郎賞受賞

その他受賞履歴

昭和27年(1952年)
台湾より大国手の称号を受章
昭和61年(1986年)
香港中文大学栄誉博士号
昭和62年(1987年)
勲三等旭日中綬章

著書一覧

「呉清源打碁全集」全4巻(平凡社)
実戦の読みを鍛える 玄妙 呉清源詰碁」(マイナビ)
「呉清源詰碁道場 上・下」(マイナビ)
「新・呉清源道場大全」(マイナビ)
「新・呉清源道場 熱血指導編1」(マイナビ)
「新・呉清源道場~ハンス・ピーチ六段 成長の足跡~」(マイナビ)
「呉清源・王立誠 囲碁の真理を探る・全3巻」(誠文堂新光社)
呉清源 二十一世紀の布石・1~3巻」(河出書房新社)
呉清源 二十一世紀の打ち方」(NHK出版)
「以文会友」(白水社)
他多数