棋士が選んだこの一手

水間俊文が選んだこの一手

対局日 1950年2月11日
棋戦名 東西対抗戦第1局 総譜はこちら
対局者
(段位は当時)
黒 山部俊郎五段
白 橋本宇太郎八段



  • 山部俊郎五段
  • VS

  • 橋本宇太郎八段


< テーマ図(黒番) >
 山部九段は私が院生に入った40年前くらいは現役でいらっしゃり長身にキレイな銀髪で、タバコの吸い方がカッコいい憧れの大先生でした。
 碁も華麗で外連味が無く投げっぷりも天下一品。意に染まない手があると形勢はまだまだと思っていた相手がキョトンとする中を「いや~いけません」と言って投了するくらいでした。
 そんな大先生が若かりし頃に日本棋院の看板を背負って橋本宇太郎先生と打った碁を取り上げさせていただきました。
 もちろん未熟者の私に両先生の碁を解説する力はありませんので皆さまと一緒に当時の熱量を感じたいと思います。
  • < 1図 >
     関西棋院独立間際に行われた東西対抗戦で西方大将橋本宇太郎八段に対して新鋭山部五段が当時流行していた天元打ちで気迫を見せると橋本八段は間髪入れずに白2のカカリ!それに負けじと山部五段も黒3のボウシ? で発止と押し返す気合の出だしでした。
     本局はこの後も見どころが多いのですが、この三手の気迫の応酬が記憶力の無い私でも忘れられない「記憶の一手(三手)」です。
  • < 2図 >
     互いに四隅を占め合って普通(?)の布石に戻ったかと思った所で白10が白△と□を連携しながら黒の模様を割ろうという雰囲気の出た一手。そこへ「許さん」と斬り込んでいく黒11にヒラリとかわす白12には勝負の機微を感じます。

  • < 3図 >
     黒29と腰を落として「白△を攻めるぞ」と脅したのに対し白30から黒の弱点を突いて黒■を手中に収めたのは小さくない利益。黒も手厚く黒39から白を攻めていきました。
  • < 4図 >
     中央の厚みを背景に白△や白□を攻めようとしている黒に対して裂帛の気合いで打ち込んだ白54に「火の玉宇太郎」と呼ばれた橋本先生の気迫を感じます。
     その気迫に押されたか黒55、57と少しずつ受け身に回らされました。
  • < 5図 >
     中央は白に厚くされましたが黒も89の大所に回り地合いで対抗します。
     白としては中央の黒▲に寄り付きたいので黒97のノゾキにも素直にツガず白100の反発。
     この辺りの応酬に「勝負」の機微を感じました。
  • < 6図 >
     山部先生も手段を尽くして白△へ反撃を試みますが、ここで白26のツケが変幻自在の発想。黒の反発に乗じながら白34まで黒を分断しカラミに持ち込みます。

  • < 7図 >
     結局白△は取られたものの白は中央をキレイに連携した上、白□から50と左下隅を大きな地にまとめ優位を確立しました。
     山部先生の気合いを橋本先生が緩急自在の打ち回しで封じた一局でした。

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