棋士が選んだこの一手

山城宏が選んだこの一手

対局日 1982年3月11日
棋戦名 第7期名人戦リーグ 総譜はこちら
対局者
(段位は当時)
黒 坂田栄男九段
白 島村俊廣九段



  • 坂田栄男九段
  • VS

  • 島村俊廣九段


< テーマ図(白番) >
 私の師である島村俊廣九段の碁から取り上げました。
 島村先生はご自身の碁を「忍の棋道」と称されていました。「忍」とは文字通り心の上から刃で押さえつけ、自分の感情をおさえ込むという意味。渋い辛抱のいい棋風で「いぶし銀」とも呼ばれていました。
 この碁が打たれたのは今から40年以上前。翌月には70歳を迎える島村先生はこの碁を打っている最中に脳出血で倒れ、これが絶局の碁となりました。
 倒れる直前の最終手を「この一手」としましたが、一局を通して素晴らしい内容の名局でしたので初手から簡単に追っていきます。
  • < 1図(1―50) >
     白12と高くカカったのは趣向。白42までの進行は白に不満はないでしょう。
     右上の白は黒45、47と封鎖されても白Aでいつでも生きることができるのが強みです。
     島村先生は白48、50と黒の薄みを厳しく追及していきます。
  • < 2図(51―76) >
    ●65(52)
     右上の黒をいじめながら幸便に白68を利かし、白72、74を決めて上辺の白は先手で生きました。白76とケイマしてサバキは大成功。はっきり白良しです。

  • < 3図(77―108) >
     白80は「中央の数子は場合によっては捨てても良い」という軽い打ち方。黒97のツケに白98、100と中央を取らせて左辺を囲ったのも好判断でした。黒も105と目一杯にがんばりますが白106、108と抜いて地合いは大差です。
  • < 4図(109―139) >
     こうなると黒は右辺の白一団を取りに行くよりありませんが、とても死ぬような石ではありません。直接攻めるのは無理と見た黒はやむを得ず黒39で手を打とうとしましたが――、

  • < 5図(140―141) >
     緩まず白40と逃げ出したのが力強い一手でした。そしてこの一手が最後の一手にもなりました。黒41から絡み攻めにきたところで先生は倒れてしまったのです。
     すぐ病院で処置をしたので幸い一命はとりとめましたが、棋士としての再起は叶いませんでした。この3年後に先生は他界されました。
     記録上では5図の黒41までで「白棄権」となっていますが、黒がいつ投げてもおかしくない局面です。大優勢の白としては白40でAくらいでもはっきり勝ちですが、倒れる直前でも最強手を選ぶ先生の信念を感じました。

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