呉清源九段(日本棋院名誉客員棋士)が11月30日午前、神奈川県小田原市内で逝去されました。享年100歳。
お別れの会等については未定です。
〈 略歴 〉
大正3年、中国福建省福州市にて、呉毅の三男として生まれる。本名・呉泉。7歳のとき二人の兄とともに父より囲碁の手ほどきを受ける。 昭和3年、14歳で母、兄とともに来日、瀬越憲作七段の門に入る。 同年12月、本因坊秀哉名人の試験碁(二子)に4目勝ち、翌4年、日本棋院より飛び付き三段を認可される。同年、12勝7敗2ジゴ。 5年、四段に昇段。同年31勝6敗2ジゴ。 7年、五段に昇段、同年45勝5敗1ジゴ。 8年、木谷實五段とともに「新布石」を共同研究、秋季大手合で新布石を多用し、布石革命を起こす。同年26勝9敗3ジゴ。 9年、六段に昇段。14年、七段に昇段。17年、中原和子と結婚。10月、八段に昇段。 |
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14年から31年までの17年間で10回の打込み十番碁を打ち、8勝1敗1延期。その殆どを先相先または定先に打込んでいる。 25年、日本棋院より九段位を推戴される。 27年、台湾に招かれ「大国手」の称号を贈られる。このとき、林海峰少年(10歳。現在・名誉天元)に六子の指導碁を打つ。 33年、「第1期日本最強決定戦」8勝2敗で優勝。36年8月、交通事故に遭い足首骨折などで入院。 37年「第1期名人戦」8勝3敗1ジゴで第2位。38年「第2期名人リーグ戦」5勝3敗で第2位。39年「第3期名人リーグ戦」6勝2敗で第2位。 59年、現役引退。62年勲三等旭日中綬章受章。 平成26年7月に百寿を祝う会が行われた。 |
日本棋院理事長 和田紀夫 談話 ~呉清源先生の訃報に接して~
平成26年12月1日
呉清源先生の訃報をお聞きし、驚きと悼惜の念を禁じえません。日本の囲碁界のみならず現代囲碁の最高峰に聳えた偉大な巨星が墜ちた思いです。心からのご冥福をお祈り申し上げます。
今年夏の呉清源先生の「百寿を祝う会」には中国のテレビ局からも取材に来られたと聞いており、その偉大な功績が中国においても高く評価されていることを知りました。
日中韓を初め世界の囲碁交流が盛んになりつつある今日、日中の囲碁の架け橋を担ってきた先生が亡くなられたことは残念でなりません。今後は先生の遺志をついで、囲碁を通じた各国との交流を深め「囲碁を通じての世界平和」 実現に向け努力したいと思います。
呉清源九段 長女 佳澄様 コメント
平成26年12月4日
父は数年前から介護施設で生活して居りました。生活面では人の助けが必要でしたが、碁に関しては以前と変わりないと、棋士の方々がおっしゃっていました。
11月30日午前0時を回った頃、施設から、夜間の見回りをしたところ、心肺停止になっていると連絡がありました。
後の話では、前日も普段と変わりなく過ごして就寝し、前の見回りの時も変わりなかったそうです。
今年は日本と中国の両国で100歳の祝賀会を開いていただき、多くの方からの訪問を受けました。
11月23日の中国の祝賀会に代理で出席した私の帰国を待っていたかのようでした。
あちらの世界には木谷先生も母もいるので寂しくないと思います。
木谷先生が、碁盤を用意して待ってくださっているのではないでしょうか。
これまで父を支えてくださった方々やファンの方々に心からお礼を申し上げたいと思います。
長い間ありがとうございました。