囲碁殿堂表彰
第13回表彰
寛蓮 ( かんれん )
- 生年
- 874年(貞観16年)
- 没年
- 不詳
- 経歴(棋歴)と主な業績
- 肥前国藤津郡大村(現佐賀県鹿島市)の生れと伝えられている。
橘姓、名は良利。碁を堪能としたゆえに碁勢大徳の称があり、平安時代の囲碁の名人として後に「碁聖」と称される。
宇多天皇に仕え(『東宝記』、『大和物語』)、 醍醐天皇御前で藤原清貫と対局した記録が残されている。(『西宮記』『古今著聞集』) 醍醐天皇との対局で黄金の枕を勝ち取り、寺を建立した逸話が残されている。(『古今物語集』)
『源氏物語』「手習の巻」に碁聖大徳と記述があり、『源氏釈』などの注解書では寛蓮だと注解している。また勅を受けて棋書『碁式』を編んで醍醐天皇に献上したと伝えられている。
(『碁式』とは囲碁に関しての礼法、戦術、用具など全般にわたる解説書。現存せず。玄尊著『囲碁式』〈1199(正治元)年成立〉に内容が継がれているとの伝えがある)
井上幻庵因碩 ( いのうえげんあんいんせき )
- 生年
- 1798年(寛政10年)
- 没年
- 1859年(安政6年)
- 経歴(棋歴)と主な業績
- 囲碁家元四家の一つ、井上家の11世。八段準名人。
本因坊秀和らとともに囲碁四哲と称される。また、丈和との名人碁所を巡っての激しい争いは有名。また、秀策との対局(耳赤の一局)も知られている。
松平家碁会において丈和と赤星因徹の「吐血の局」に関わったとされ、また、井上家の家格を上げるために暗躍したりと何かと話題が多いが、『囲碁妙伝』『奕図』『囲碁終解録』等現代でも通じる棋書を残す。 隠居後は清国渡海を企てて失敗したなどと逸話の多い人物であり、囲碁の外にも兵法家を自任していた。
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