ここでは週刊碁連載中の「つるりん式観る碁のすすめ~四字熟語編」で書ききれなかったこぼれ話を紹介します。(つる=鶴山淳志八段、りん=林漢傑八段)
佐田篤史七段を交えての関西棋士編。今回はいつもニコニコ、ほんわかした雰囲気の大森らん初段を取り上げました。春の日差しのような人柄で、「春風駘蕩」の四字熟語がぴったりですね!
大森初段(以下、らんさん)は広島県、瀬戸内海に浮かぶ自然豊かな江田島出身。お兄さんの影響で島内の囲碁教室に通うようになり、やがてプロを志すようになりました。中学2年生の時、関西総本部の院生に入ったらんさんは江田島と関西総本部の往復をするようになります。それは、想像以上に長い道のりでした。
「家から船が出ている港まで車で送ってもらって、そこから呉に出て、呉から広島まで電車に乗って、新幹線に乗り、降りてから総本部の最寄り駅まで電車に乗って、そのあと少し歩いて通いました。家から総本部まで、待ち時間も含めると4時間くらいでした」。車、船、電車、新幹線、ありとあらゆる乗り物に乗って、往復8時間!!!朝は6時前に出て、帰宅は夜11時過ぎだったそうです。ものすごい情熱と忍耐力がなければ、2年もの間、毎週末通えるはずがありません。
「私はおにぎりが大好きなので、朝はお母さんにおにぎりを作ってもらっていました」。ちなみに好きなおにぎりはシンプルな塩にぎり。「海苔が大好きだから、海苔を味わいたい」と言います。瀬戸内海は海苔の一大生産地なので、きっとものすごく美味しい海苔だったのでしょう。
ご家族の応援と島の恵みに支えられて院生に入ったらんさんは急激に力を付けました。中学を卒業してからは単身大阪に移り住んで碁に打ち込み、16歳で入段。島で育った少女は並々ならぬ意志の強さと忍耐力でついに念願のプロ棋士となりました。
目標は「師匠(山本賢太郎五段)みたいに周りを笑顔にできる棋士」。佐田七段は「大森さんがニコニコしていないところを対局以外で見たことがない」と言います。自分も笑顔でみんなも笑顔に。「春風駘蕩」大森らん初段、みなさんぜひ覚えてください!