「12歳で一人暮らし」「中卒オール1」―異色の棋士、柳澤理志六段の壮絶半生を聞く「つるりん式観る碁のすすめ~こぼれ話」


 ここでは週刊碁連載中の「つるりん式観る碁のすすめ~四字熟語編」で書ききれなかったこぼれ話を紹介します。(つる=鶴山淳志八段、りん=林漢傑八段

 今回は普及活動に観戦記者、ユーチューバーとマルチに活躍する中部総本部所属の棋士、柳澤理志六段を取り上げました。次回から柳澤六段をゲストに招き、多彩な中部棋士をご紹介していきます。




 柳澤六段はつる&りんが羨望の眼差しを向ける棋士系ユーチューバーですが、活動の多くは中部地方なので、まだよく知らないという方が多いかもしれません。そこで、本コラムでは柳澤六段がどのように棋士となり、様々な活動を行うようになったのか、その半生をうかがいました。
(インタビュアー=編集K)


第1部 「棋士になるか死ぬか」まで思い詰めた修行時代

  • ― 今回は柳澤六段の半生を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。
  • ● よろしくお願いいたします。
  • ― まずは碁を覚えたきっかけを教えてください。
  • ● 愛好家の父から教わりました。最初の頃はあまり覚えていないのですが、小学3年生の時に大人の大会に混ざって級位者の部で優勝してからのめり込むようになりました。この頃からはっきりとプロになりたいと思っていましたね。
  • ― プロを志すようになってから、生活は変わりましたか?
  • ● 僕の家は長野県の佐久市というところなのですが、田舎なので、強い方に打ってもらうために車で1時間ほどの碁会所に行ったり、アマ強豪の方に家に来てもらったり、県内の大会やイベントがあればほとんど出ていました。
  • ― 本当に囲碁が中心の生活ですね。
  • ● 両親の協力がなければとても続けられなかったです。おかげで小学6年生までにアマ七段クラスの実力になりました。そのくらいになったら院生になりたいと目標にしていたので、いよいよ本格的にプロ修行をすることになりました。
  • ― 師匠は吉岡薫九段ですね。内弟子になられたのでしょうか。
  • ● それが違うんです。吉岡先生はよく長野へ指導にいらしていて、小さい頃からお世話になっている先生でした。なので、東京で院生になるのか、それとも先生を頼って中部総本部の院生になるのか、悩んだ末に先生を頼って中部総本部の院生になりました。ただ、その頃先生はお子さんが産まれたばかりで、内弟子を取ることは難しかった。そこで導き出した答えが「中部総本部の近くで一人暮らしをする」です。
  • ― えっ・・・、小学6年生というと12歳ですよね・・・。
  • ● そうです。僕は12歳から一人暮らしをしているんです(笑)。本当に、よく両親が決断しましたよね。僕の決意が固かったので、信じて送り出してくれたそうです。相当悩んだと思います。
  • ― ご飯とかはどうされていたのですか?
  • ● 朝食が付いている単身者用のマンションだったので、朝食はマンションで、昼食は学校で、夜は適当に外食していました。
  • ― すごい・・・。お一人で寂しくなかったですか?
  • ● 寂しかったですよ。ただ補足すると、実はこの時期、僕以外にも同年代で一人暮らしをしている人がけっこういたんです。名古屋アミーゴ(囲碁普及プロジェクト、2022年に一旦終了)で一緒に活動をしていた大澤健朗四段もその中の一人です。
  • ― はあ・・・。皆さん、すごい覚悟でプロを目指してらっしゃったんですね。
  • ● そうですね。プロになるために親元を離れているわけですから、プロにならなければという焦燥感はいつも抱えていました。だから、学校が苦痛で苦痛で(笑)。僕はプロにならなければいけないのに、学校なんて行っている場合じゃない!と思うようになって、次第にほとんど行かなくなりました。だから、中学の通信簿はオール1です(笑)。
  • ― 学校に行かない時間はどう過ごされたのですか?
  • ● 当時は月、水、木が手合日だったので、その日はだいたい記録係をして、金曜日は師匠の家で研究会、その他にも、羽根泰正九段山城宏九段小県真樹九段彦坂直人九段と中部の先生方の研究会が毎日どこかしらで必ずあったので、そこに参加させていただいていました。ありがたいことにどの先生のご自宅でも研究会が終わった後に夕食をご馳走してくださって・・・。僕が一人暮らしだというのは皆さんご存知だったので、心配してくださっていたんだと思います。
  • ― 素敵な先生方ですね。棋士になられた時はどんお気持ちでしたか?
  • ● 「プロになるか死ぬか」くらいに思い詰めていたので、プロ入りを決めた時には本当にホッとしました。特に、前年にあと1勝でプロ入りというところで3連敗して逃していたので、冗談ではなく「これでまだ生きられる」と感じましたね。

第2部 「囲碁の魅力を直接伝えたい」柳澤理志六段の現在地

  • ― 棋士になってから様々な活動をされるようになった経緯を教えてください。
  • ● 棋士になったら上を目指してさらに精進するのが本筋ですが、僕の場合は燃え尽き症候群のようになってしまって、碁の勉強にあまり身が入らなかったのが本当のところです。
    そのような中で、棋士という職業がどうして成り立っているんだろうか、自分が碁を打つことが果たして社会の役に立っているのだろうか、と疑問を持つようになりました。
  • ― 根源的な問いですね・・・。
  • ● つくづく棋士って不思議な職業だなと思います。そして考えれば考えるほど僕ら棋士はファンの方に支えられて生活ができているんだなと思うようになりました。
  • ― それが今の柳澤さんの活動につながっているんですね。
  • ● そうですね。もっとダイレクトに碁の魅力を発信したいと思いました。観戦記は読者の方にその棋譜の魅力、棋士の魅力を直接伝えることなのでとてもやりがいを感じていますし、ユーチューブも自分の考える碁の面白いところを直接届けることができます。僕は碁の奥深さも好きですけど、碁に関わる人と人とのつながりが好きなんです。子どもの頃から碁会所が好きだったし、大会が好きだったし、修業時代はつらかったけど研究会は大好きでした。そういう場所をもっと増やしたいですね。
  • ― 私も碁会所で、大会で、いい思い出がたくさんあるのでとても共感します。
  • ● そうですか。嬉しいですね。僕は碁が面白いものだと信じています。でも、楽しみ方はいろいろあるし、まだまだ工夫できると思うので、僕自身がそれを開拓していけたらいいなと思っています。
記・編集K

  • * 柳澤理志六段ご自身が半生を振り返ったエッセイが「天狼院書店」のHPに掲載されました。当時の心境が赤裸々に綴られた文章からは棋士としての矜持を感じます。人と違うことが怖くなくなる、自分が自分であることに勇気がもらえる、そんなエッセイです。