北の国から~フィンランド出身、山形県在住アンティ・トルマネン初段「つるりん式観る碁のすすめ~こぼれ話」


 ここでは週刊碁連載中の「つるりん式観る碁のすすめ~四字熟語編」で書ききれなかったこぼれ話を紹介します。(つる=鶴山淳志八段、りん=林漢傑八段

 囲碁は全世界に愛好家がいるグローバルな競技です。日本棋院にも海外がルーツの棋士が多く在籍しています。そこで今回は碁界が持つ多種多様さを象徴する人物としてフィンランド出身で山形県在住のアンティ・トルマネン初段をご紹介。本コラムではご本人に碁を始めたきっかけや、日本で棋士になった経緯、現在の活動などについて伺ってきました。




(インタビュア=編集K)


  • ― 本日はよろしくお願いいたします。
  • ○ よろしくお願いいたします。
  • ― アンティさんはフィンランドご出身ですが、碁はどのようにして覚えられたのでしょうか。
  • ○ もともとアニメとマンガが好きで、いろいろ読んでいました。その中に『ヒカルの碁』があって、最初は「ボードゲームのマンガが面白いわけがない」と思っていたのですが、読んだらすごく面白くて、それで始めました。
  • ― やっぱり『ヒカルの碁』は偉大ですね!私もマンガ『ヒカルの碁』世代なので、とても影響を受けました。日本では碁を習う場所がたくさんありますが、フィンランドにも碁を習う場所、打つ場所はあったのでしょうか。
  • ○ 私が育ったのはオウルというフィンランドで5番目に大きい街で、市内の大学に囲碁部がありました。碁を覚えたのが12歳。半年後の13歳頃からは大学の囲碁部に参加して打っていました。
  • ― 日本でプロになられたのはどういった経緯だったのでしょうか。
  • ○ ああ、それは長い話ですけど(笑)。まず、2008年にフィンランドチャンピオンになれて、2010年頃にはヨーロッパでトップクラスになりました。もっと強くなりたければやはり、アジアに行く必要があると思いました。中国、韓国も候補だったのですが、アニメとマンガが好きだったので、日本で勉強したいと思い日本に決めました。
  • ― それでプロになられたんですね。
  • ○ 結果的にはそうですね。ただ、最初は大学在学中に短期留学するような形で来日しました。なので、7ヶ月後くらいにフィンランドに帰国し、その後大学を卒業してから改めて来日し、本格的にプロを目指すことにしました。
  • ― すごい情熱ですね。
  • ○ 当時は大学の勉強に興味があまり持てなくて、碁を勉強する方が魅力的に思えました。
  • ― 日本棋院は外国籍(韓国、中国、台湾を除く)の方を通常の採用試験とは別に特別枠で積極的に採用しています。アンティさんも外国籍特別採用で棋士になられました。今は山形県に住んでらっしゃると聞きます。どうして山形に住むことになったのでしょうか?
  • ○ 妻が山形県で就職したからです。2020年に移住しました。冬になると雪が降るし、静かで故郷のオウルに似ているのでとても住み心地がいいです。
  • ― 冬には雪が降ってほしいものですか?
  • ○ そうですね。雪が降らないと物足りなくて(笑)。
  • ― 今はどのような活動をされていますか?
  • ○ 手合の他に、ヨーロッパやアメリカの方の指導碁をオンラインでしたり、英語で碁の本を出したりしています。あと、コロナが落ち着いてきた昨年頃からは山形県内で普及活動もはじめました。指導に行っている場所はまだそれほど多くありませんが、少しずつ増えてきています。それから10月に子どもが生まれたので育児をしています。
  • ― それは!おめでとうございます!
  • ○ ありがとうございます。
  • ― 山形での普及活動からヨーロッパやアメリカの方の指導、海外での書籍出版など。ローカルな活動からグローバルな活動まで、本当に幅広いですね。
  • ○ たしかに、いろいろ混ざっていますね(笑)。
  • ― アンティさんのお話をうかがって、世界は広くて自由なんだなと思いました。本日はありがとうございました。
記・編集K