ここでは週刊碁連載中の「つるりん式観る碁のすすめ~四字熟語編」で書ききれなかったこぼれ話を紹介します。(つる=鶴山淳志八段、りん=林漢傑八段)
今回は80年以上棋士として活動し続けている御年96歳の杉内寿子八段が登場しました。約1世紀という年月を生き抜き、そのほとんどの時間を囲碁に捧げている杉内八段。時折、日本棋院でお目にかかるそのお姿は、かくしゃくとして生命力がみなぎっています。
本コラムではこの96年という年月の長さをより立体的に感じたいと思い、日本史上の出来事と、囲碁史上の出来事を杉内八段の年表に書き加えてみました。
【以下、黒字は杉内八段年表、オレンジは囲碁史年表、緑は日本史年表、敬称段位略】
1923年 | 関東大震災 | |
1924年 | 日本棋院設立 『棋道』創刊 | |
1927年 | 3月6日・寿子誕生 大手合・東西対抗第1回開始(1929年に東西対抗制を廃止し定期手合に) |
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1928年 | 0~1歳 | 呉清源来日 日本で初めての普通選挙が実施 |
1930年 | 2~3歳 | 妹・幸子(=本田幸子)誕生 |
1933年 | 5~6歳 | 呉清源・木谷實「新布石」を発表 |
1937年 | 9~10歳 | 喜多文子に入門 盧溝橋事件・日中全面戦争状態へ |
1938年 | 10~11歳 | 本因坊秀哉対木谷實の名人引退碁が始まる |
1939年 | 11~12歳 | 妹・輝子(=楠光子)誕生 初の新聞社主催棋戦「本因坊戦」が誕生 |
1941年 | 13~14歳 | 太平洋戦争勃発 |
1942年 | 14~15歳 | 入段 |
1944年 | 16~17歳 | 二段昇段 『棋道』が休刊(1946年に復刊) |
1945年 | 17~18歳 | 東京大空襲で日本棋院会館が焼失 第3期本因坊戦番勝負(橋本昭宇対岩本薫)にて、対局者及び関係者が広島で被爆 終戦 |
1947年 | 19~20歳 | 幸子入段 |
1948年 | 20~21歳 | 三段昇段 日本棋院新会館開館(芝高輪) |
1949年 | 21~22歳 | 四段昇段 |
1953年 | 25~26歳 | 五段昇段 第2期女流選手権で伊藤友恵を破り初タイトル |
1956年 | 28~29歳 | 六段昇段 女流選手権戦4連覇 輝子入段 |
1960年 | 32~33歳 | 囲碁親善使節団 訪中 安保闘争 カラーテレビ放送開始 |
1971年 | 43~44歳 | 日本棋院新会館完成(市ヶ谷) |
1972年 | 44~45歳 | 七段昇段 |
1977年 | 49~50歳 | 週刊『碁』創刊 |
1983年 | 55~56歳 | 八段昇段、第5期女流鶴聖戦で本田幸子を破り優勝 |
1986年 | 58~59歳 | 第8期女流鶴聖戦で小林禮子を破り優勝 |
1989年 | 61~62歳 | 平成改元 |
1991年 | 63~64歳 | 第3期女流名人戦で青木喜久代を破りタイトル奪取 |
1992年 | 64~65歳 | 第4期女流名人戦で青木喜久代を破りタイトル防衛 |
1993年 | 65~66歳 | 第5期女流名人戦で青木喜久代を破り3連覇 |
1994年 | 66~67歳 | 第6期女流名人戦で小川誠子を破り4連覇 |
1996年 | 68~69歳 | 日本棋院HP開設 羽生善治七冠達成 |
1999年 | 73~74歳 | 週刊少年ジャンプ『ヒカルの碁』連載開始 『棋道』と『囲碁クラブ』が合併し『月刊碁ワールド』を創刊 |
2000年 | 72~73歳 | 通算500勝を達成 本田幸子引退 |
2003年 | 75~76歳 | 大手合廃止 新昇段制度制定 |
2011年 | 83~84歳 | 日本棋院、公益財団法人に 東日本大震災が発生 |
2014年 | 86~87歳 | 通算600勝を達成 |
2016年 | 88~89歳 | 井山裕太七冠達成 アルファ碁登場 囲碁AI時代に |
2017年 | 89~90歳 | 夫、杉内雅男死去、現役最年長棋士になる 井山裕太二度目の七冠達成 羽生善治が史上初の「永世七冠」を達成 翌年、井山裕太、羽生善治国民栄誉賞受賞 |
2018年 | 90~91歳 | 第44期棋聖戦FTで溝上知親に勝利し準決勝進出 |
2019年 | 91~92歳 | 第38期女流本因坊戦本戦入り 楠光子引退 仲邑菫入段 令和改元 新型コロナウイルス感染症が中国で発生 |
2020年 | 92~93歳 | 本田幸子死去 |
2023年 | 95~96歳 | 4月、横田日菜乃に勝利し今年3勝目。自身の持つ最年長勝利記録更新中 週刊『碁』「休刊」を発表 本因坊戦大幅改変を発表 |
記・編集K