10月25日、日本棋院において「囲碁殿堂表彰委員会」が開催され、中村道碩(なかむらどうせき)、牧野伸顕(まきの のぶあき)、加藤正夫(かとうまさお)の3名が第20回囲碁殿堂入りとして選ばれました。
有識者、マスコミ関係者、日本棋院役員、棋士で構成された表彰委員会委員の内、出席された9名により、事前にノミネートされた候補者の中から投票により選出されました。
囲碁殿堂入りを果たした3名に対しては、顕彰楯を制作し、日本棋院会館一階にて展示を行う予定です。
囲碁殿堂入り決定者の経歴と選考理由
中村 道碩(なかむら どうせき)
1582(天正10)年-1630(寛永7)年
囲碁四家の一つ、井上家の初代に位置付けられている。本因坊算砂の弟子とされ、31歳で算砂と同じ五十石取りになっている。同時代に活躍していた一世安井算哲とは常に競り合っていたが、道碩の方が勝ち越している。また江戸城でも算哲と対局しており、これが「御城碁」の始まりとされている。元和10年(1624年)、算砂より譲られ、二人目の名人碁所となる。
1861(文久元)年 -1949(昭和24)年
政治家・外交官。大久保利通の二男として鹿児島で生まれる。名は「しんけん」とも。吉田茂は娘婿。イタリア公使、文相、農商務相、外相などを歴任。パリ講和会議に全権委員となる。また対英米協調外交を推進。官僚・軍部・政党の調整に努めた。離合集散を繰り返していた囲碁界の大同団結の機運は、大正12年(1923年)に発生した関東大震災を機に高まる。翌大正13年、大多数の棋士が集合し、日本棋院が誕生し総裁に選ばれる(~昭和21年)。
1947(昭和23)年-2004年(平成16年) 福岡県出身
昭和34年、12歳で木谷實九段に入門し、昭和39年入段。名人2期、本因坊4期、王座11期など数々のタイトルを獲得。通算タイトル獲得数47。同じ木谷實門下の石田芳夫・武宮正樹とともに「木谷三羽烏」「黄金トリオ」と呼ばれた。門下に大森泰志九段、岡田伸一郎九段、鈴木伊佐男八段、小山栄美七段、吉原由香里六段。力ずくで大石を仕留めることから「殺し屋」のニックネームがあったが、棋風とは裏腹に穏和で面倒見の良い人柄で人望が厚かった。平成16年には日本棋院理事長に就任、日本棋院の改革に取り組む。
〈参考〉過去の殿堂入り
第1回特別創設記念表彰: 徳川家康、本因坊算砂 、本因坊道策、本因坊秀策
第2回特別創設記念表彰: 本因坊丈和
第3回表彰:本因坊秀和、大倉喜七郎
第4回表彰:本因坊秀甫
第5回表彰:本因坊秀栄、本因坊秀哉
第6回表彰:瀬越憲作
第7回表彰:木谷實
第8回表彰:岩本薫
第9回表彰:安井算哲(渋川春海)、陳毅
第10回表彰:喜多文子
第11回表彰:橋本宇太郎
第12回表彰:呉清源
第13回表彰:寛蓮、井上幻庵因碩
第14回表彰:正岡子規
第15回表彰:正力松太郎
第16回表彰:坂田栄男、趙南哲
第17回表彰:藤沢秀行
第18回表彰:高川格
第19回表彰:川端康成
囲碁殿堂表彰委員会委員
藁科満治 元参議院議員
谷岡一郎 大阪商業大学学長
植田 滋 読売新聞東京本社編集局文化部長
喜多克尚 朝日新聞文化部部長
坂本高志 毎日新聞社学芸部長
堤 篤史 日本経済新聞社編集局文化部長
本田 誠 産経新聞東京本社編集局文化部部長
今井 敬 日本棋院総裁
小林 覚 日本棋院理事長
風間 隼 東京棋士会会長
以上